前の10件 | -
お気楽OL ブランドについて語る 3 客の心得 [ユーモア・エッセイ]
3ヶ月ぶりに、思い立って自分のブログを除いてみた。
書きかけの記事があった。
・・・
どうも私にはリズムがあるようで、ブログのリズムは3月にやってきて4月か5月に去るらしい。
熱しやすく冷めやすい性格がよくわかる。
別にそれを世間に公表する必要もないんだけど。。。
この3ヶ月間、仕事が忙しかったわけでは、もちろん、ない。
せっせと万年筆を買ったお陰で、毎晩万年筆を使わねばならず、ブログを書く暇がなかっただけ。
というのと、ブログというマイ・ブームの波が去ったから。
でも、せっかく書きかけの記事もあるし、ということで「ブランドについて語る」続きです。
この間、私は相変わらずの買い物三昧の生活をしていたわけだが(っていうか買い物をしない月があるのか?)、そのお陰でますます客の心得というものを強く感じるようになった。
欲しいものを「提供いただける」という気持ちを忘れてはならない。
売る側は「買っていただく」だけでなく、
「あなたの求めているものを持っていますよ」
ということなのだ。
これが顕著なのがラグジュアリーなブランドである。
世の中でもっとも有名なバッグの一つ「エルメスのバーキン」。
バッグの中の女王と称される名品の一つだが、これはその代表である。
バーキンが欲しい!!!
と思っても、店頭に出ていないことが多い。
これが自分の求めるサイズ・レザー・色、となると皆無になる。
まぁ、大きさによっては百万円を超えるバッグなので、こういうものを
ぽん!
と買っていく客にというのは、なんというか、慣れているので決して偉ぶったりしない。
買ってあげるよぉ
と自慢しなくても良いのである。いつもこういう買い物をしているから。
私は、洋服・靴・バッグをだいたい決まった店で買う。
だから、店員のみんなもとても親切にしてくれる(と感じている)。
でも、私は他の客の前で絶対に「私、常連なのよ」的発言をしない。
まぁ、行き慣れた様子で常連だというのはわかるのだろうが、だからといって「私は優遇されるのよ」という態度は絶対に見せない。
それは、ルール違反だからである。
常連かどうかを決めるのは、私ではなくて店だからである。
私が受けている待遇は、優遇されたものなのかもしれない、そうでないのかもしれない。
私にはわからない。
だから、言ってはいけないのである。
むしろ、他の客が来たときには帰ることにしている。
それこそ、私はそんな時に買い物をしなくても良いのだ。
そして、店に行けば挨拶をするし、帰り際も「手間をかけて悪かったわね。ありがとう。」という。
店の外まで見送ってくれれば、少し歩いてから振り返って挨拶をする。
次回行ったときには、この前買った商品が良かったことを伝え、お礼を言う。
良い買い物ができたのは、店員のみんなのお陰だからお礼をいうのは当然だと思っている。
また私は、絶対に知ったかぶりをしない。すぐに聞く。
もちろん、いつも同じ服と靴とバッグを買っているのだから、自然と詳しくなっていることもある。
それは経験と店員との会話での知識でついていくものなので、ごく自然な会話として成り立つ。
だから「君、こんなことも知らないの? 通じゃないね」という発言には驚いてしまう。
私は、この手の発言が大嫌い。
客がするならまだしも、こういう態度をする店員がいる。
私はこういう店員に会うと、心の底からバカにするだけでなく、そのブランドを疑ってしまう。
店員が客よりも知識があるのは、当たり前だからだ。
店員は誰よりも
自分の取り扱っている商品の知識があって当たり前
なのである。
それを自慢するということが、まったく理解できない。
私は知ったかぶりはしないが、質問にまともに答えられない店員(わからなければ調べれば良い)や間違ったことを適当に答える店員(こういうのは様子を見ているとすぐにわかる)、「そんなことも知らないの?」態度の店員に遭遇すると、即刻退散し二度と近寄らない。
こういう店で買い物をしても、良い買い物はできないからである。
そういう意味では、私は非常に店員に厳しいのかもしれない。
お気楽OL ブランドについて語る 2 フルハルター賛 [ユーモア・エッセイ]
私は、初めて万年筆を買う人にこそフルハルターをお薦めしたい。
なぜならば、フルハルターで万年筆を買うために必要なことは、
万年筆の用途
だけだからである。
会社でバリバリと、毎日自分の友として使いたいなら、少し細めの字が使いよいだろう。
もちろん私のように、会社でも気にせずばりばり太字を使う人間もいるが・・・
プライベートで楽しむなら、少し太い方がいいかもしれない。
でも、それも好みだ。
それに、高いものだから、使い分けるほど沢山買えないかもしれない。
生活するのに必要なものは、万年筆だけではないからね。
汎用性の高いものをと考えると、中字よりも細い方がいいのかももしれない。
とにかく、それだけでいいのだ、フルハルターで買い物をするには。
ペン先がどうとか、ペンのボディの太さがどうとか、そのほか諸々の蘊蓄など必要ない。
考えてもみて欲しい。
普段、ボールペンやシャープペンシルを買うときに、どれほどの蘊蓄を傾けて選ぶだろう。
万年筆だって、同じであるべきだ。
だが、残念ながら、万年筆は当たり外れが多いために、購入者側にある程度の知識がないと
だまされた!!!
という感が拭えない、ことが起こるのだと思う。
単に筆記具として万年筆が好きな私には、その気持ちがよくわかる。
そのためには、まず
気持ちよく書けること
そして、
自分好みのボディであること
だと思う。結構な金額を出して買うのだから、当然気に入ったデザインのものを買いたい。
当たり前のことだ。
しかし、いくら美しくても書けなければ意味がないと思う。
だって、筆記具なんだから。
気持ちよく書けて、自分の好きなデザインの万年筆に出会えたら、毎日毎日使いたい。そうすれば、もっと万年筆は期待に応えてくれる。
もし、
「フルハルターで買い物をしたいけど、敷居が高くて」
とか
「万年筆のことを知らなければ、相手にしてもらえないんじゃないか」
と思って躊躇している人がいるならば、即刻その考えは捨てた方がいい。
お客さんが万年筆のことを知らないのは当たり前のことなのだ。わからなければ聞けばいい。
それだけのことだ。
前回も書いたが、森山さんはプロである。
だから、聞けばきちんと教えてくれる。間違っても、
「そんなことも知らないのか」
というようなことには、絶対にならない。
なぜなら、知らなくて当たり前だからである。
自分の用途を伝え、好みを伝え、それに合うものがあるかを聞けばいい。森山さんは、豊富な経験から薦めてくれる。
もし、森山さんの薦めるものが気に入らなければ、丁重にお断りすればよい。
森山さんがもっとも嫌うのは、万年筆が使われないことだからだ。森山さんは、自分の売った万年筆を毎日使って欲しいと思っている。毎日毎日使って、万年筆がその性能を遺憾なく発揮し、ペン先がインク色に染まるまでになって欲しいと思っている。
しかし、私は敢えていう。
ほんの少しペリカンのボディが気に入らなくても、初めて万年筆はフルハルターで買うべきである。
万年筆のすばらしさは、他でもないその書き味なのだから。
その書き味を知ることなく万年筆から去っていくのは、もったいない。
すこし緊張しながらフルハルターの扉を開ける。
森山さんと話をしながら、試し書きをする。
そして、熟考の末に一本を決めて、自分の住所と名前と電話番号を書く。
森山さんのことだ。この姿を思い出しながら研ぎ出されたんだろうな、と思うだけで、特別な一本になる。
つづく・・・
タグ:万年筆 フルハルター
お気楽OL フルハルターでの出会い ブランドについて語る 1 [ユーモア・エッセイ]
「フルハルターとどんな関係が」と思う人が多いと思うが、実は森山さんと3時間も話をしていたのは、こういう感じの話だった。
正確にその時の話を再現しているわけではないが、私がどういう考えを元に森山さんと話をしたか、と言うこと。
そして、森山さんと意気投合した(と思いたい)。
これからは、私の「ベンツに乗ってアパートに住んでいる人」ぶりが出てくる。
やたらとブランドものばっかり買ってイヤミ、と思う人はパスしてください。
別にブランド品をやたらと持っていることを自慢しているわけではなく、そのせいで江戸っ子もびっくり、
「宵越しの金を手にする前に使い切っている」生活
という高い授業料を払い続けながら(現在進行形)思う「ブランドとは何か」「贅沢とは何か」という私論である。
そして、それは前回の話とつながる。
その話の入り口として、私の「森山さん感想」。
森山さんは、「商売人」というよりは「職人」です。
たぶん、ご本人も、お客さんのほとんどの人も、そう思っていると思う。
私も森山さんが「職人」であることにまったく異論はない。
フルハルターのペリカンで字を書くたびに、そしてそれは回を重ねるごとに、すばらしさを感じるからである。
しかし、私は森山さんは「本当の商売人」でもあると思う。
「商売人」というと、イコール金儲け、と言うイメージが強い。
もちろんボランティアでなければ、お金を儲けなければならないから、間違ってはいない。
だが、私の言う「本当の商売人」というのは、単に「ものだけを売って、ひたすら儲ける」のではなく、「自分の信用と共に、自信を持ってお薦めできるものを売る」人をいう。
前後の話は割愛するが、森山さんは
「俺はそんなものは売れないんだよ。できないんだよ。」
と言われた。森山さんは、万年筆は一生使えるものであると考えている。だから、そうあり得るものを売るのである。
こういう人が売っているものの中に、悪いものはないだろう。
万が一、当たりの悪いものがあったとしても、誠心誠意対応してくれるだろう。
なぜなら、それは森山さんの信用であり、プライドだからだ。
そして、それこそが「ブランド」というものなのではないか。
つづく・・・
お気楽OL フルハルターでの出会い 番外編 万年筆の魅力 2 [ユーモア・エッセイ]
万年筆は、何となく「特別な道具」という雰囲気が漂っている気がして、残念だと私は言った。
しかし、そのお陰で他の筆記具に比べると格段に「特別な」ものが作られている。
例えば蒔絵万年筆のように、最高級のものだとベンツのスポーツ・カー並の値段がついているもの。
これは万年筆だけではなく、それを入れる箱も芸術品なので、トータル芸術としての値段だけど。
まぁ、こういうのは別としても、他の筆記具にくらべると、遙かに手の込んだものが作られていることは事実である。
贅沢な素材が使われたり、一貫したテーマの中で、イメージ豊かなものが作らている。
これは万年筆の持つ付加価値であり、他の筆記具にはない「ペン・トータルとしての美しさ」と言った部分にあたる。
もちろん、常に取り扱われているものも「ペン・トータルの美しさ」は、他の筆記具と比べるべくも無い。
それは、例えばグラフ フォン ファーバーカステルの同じシリーズのシャープペンシルとボールペンと万年筆を並べたら、圧倒的に万年筆が美しいと言うことである。
しかし、だからといって毎年毎年30万円の筆記具というものは、いかがなものか、と思わないこともない。
にもかかわらず、それが許されているのは「特別な筆記具」ということだからだろう。
ボールペンやシャープペンシルでも、高いものは、もちろんある。
しかし、例えばグラフ フォン ファーバーカステルのペン・オブ・ザ・イヤーのように、毎年30万円を超すようなペンを出すことを許される筆記具は、そうないのではないだろうか。
そして、このような限定品を出すのは、グラフ フォン ファーバーカステルだけではない。
モンブランだってモンテグラッパだってアウロラだって出す。
こういうことが当たり前のイベントになっているのは、ボールペンでもシャープペンシルでもないのだ。こちらの方が、はるかに多くの人が使っているのに。
そうなるのは、「特別な」という部分に起因するのではないか。
そして、同時に私はそのことを少し残念に思う。
「特別な」という部分に「日常的ではない」という匂いがあるからだ。
私が、「万年筆は書くための道具である」といったのは、そのためである。
コレクターを否定するつもりはないが、私は例えば100万円の万年筆(別に10万円でもいいんだけど)は「書くための道具」だからこそ、贅沢さを感じる。
100万円の書く道具で、手紙を書くから贅沢なのだ。メモを取り、家計簿をつけるから贅沢なのだ。
「100万円もしたから、もったいなくて使えない」「100万円の万年筆で家計簿なんて」というのなら、買わなければいいのである。
「贅沢」というのは、そういうことではないか。
「高級品」というのは、そういうものではないのか。
つづく・・・
タグ:万年筆 高級品
お気楽OL フルハルターでの出会い 番外編 万年筆の魅力 [ユーモア・エッセイ]
万年筆は、言うまでもなく書くための道具だ。
私はこの点において万年筆を美化するところは全くない。
万年筆がいかに筆記具として優れているかを、延々と説く気はない。
なぜなら、現代社会において「優れた筆記具」とは言い難いからである。
使っていないときはキャップを閉めておかなければならないし、キャップもねじを回して開け閉めをしなければならないものが多い。
電話がかかってきてすぐにメモを取るとか、上司に呼ばれるなり覚えきれない複雑な仕事を説明されたときに
「ちょっと待ってください」
なんて、新人類(古い)の新入社員しかできない。
おまけに当たり外れが多い。今思えば、高校生の頃に使った万年筆の書き味がイマイチだったのも、そうだったのだと思う。そのせいで、万年筆の書き味をしることなく去っていく人も多いと思う。
そのくせに、他の筆記具に比べて価格が高い。インクも高いので、ランニングコストがかかる。
と書いているといいところなんて、まるでなさそうである。
が、もちろんそうではない。
万年筆には、これらの欠点、というかこの時代にそぐわないものを超えて私を魅了するものがある。
それは、他の筆記具にはない書き味であり、ペン先から始まるペン全体を見たときのトータルの美しさであり、一つ一つの万年筆が見せる顔である。
なかでも、それぞれの万年筆の見せる顔の違いは、他のどの筆記具にもない魅力である。
万年筆の並んだ机を見ながら同居人は言った。
「これだけないと、字が書けないっていうことじゃないよね」
どうすれば、こんな嫌みな言い方を思いつけるのか知りたいものだ。
この嫌みに対抗するために、彼がもっとも気に入った姿をしているカランダッシュのペンを渡し、字を書いて貰った。
そして次に、彼がもっとも好みでない姿をしている現代の名工万年筆を渡した。
彼は、まったく興味を示さず仕方なく字を書いた、その瞬間
彼は驚きの表情を浮かべ、勢いよく文章を書き出したのである。
そして、ペンを見つめ、ペン先をじっくりと見つめ、もう一度字を書いた。
私は、他のペンも次々と渡し、言った。
「どれも違う顔をしてるでしょ?」
その時は、フルハルターのペリカンがまだできていなかったが、後日このペンを手にして、彼は溜息をついたのである。そして、彼はフルハルターのペリカンBBを買う決心をしたようだった。仕事が一段落したら、森山さんを訪ねるだろう。
万年筆は、高価であることと現代社会にマッチしない点から、「マニアックなもの」になっているような気がする。しかし、万年筆はただの道具なのだ、字を書くための。
字を書くのに必要なものは、「字」と「書くべきこと」だけである。
万年筆のブランドの名前とか蘊蓄など必要ない。万年筆が好きな人の話を聞いていると、なにやら聞いたことのない言葉が沢山出てくるかもしれない。しかし、そんなものは字を書く上では、まったく必要のないものだ。
だが、そういう知識があると「より自分にあった万年筆に出会える」ことは確かである。
万年筆は当たり外れが多く、調整すれば自分にあったものになる、ということを知っているだけで万年筆を使ってみようと思う人が多くなるのではないかと思う。
インクを入れたり、2,3ヶ月に一度クリーニングをすることは必要だが、決して難しい作業でもないし、特別な道具が必要なわけでもない。
ものを書く道具として万年筆を愛している私にとって、「万年筆は特別な筆記具」というような雰囲気があることは非常に残念なことである。
つづく・・・
タグ:万年筆 書き味
お気楽OL フルハルターでの出会い 番外編 [ユーモア・エッセイ]
私は、セーラの現代の名工万年筆(と勝手に命名した限定品)とフルハルターのペリカンを買うまでは、万年筆の書き味については
「個体差」
もしくは
「メーカーの味」
という、いい加減な言葉で片付けていた。
鈍感な私は、それほどこだわりがないというか、わからないのだ。
と思っていたが、単に知らなかっただけ、と言うことに気がつくことになる。
フルハルターの万年筆は、感動の書き味である。
しかし、私がこれが実に感動的なものだと気付いたのは、少したってからのことである。
フルハルターの万年筆で、書く。
滑らかに、何の違和感もなく、万年筆独特のヌラヌラという書き味が味わえる。ペン先を紙につけた途端、安定感があり、ボールペンのように変に滑ることがないので、力を入れて紙を捉える必要がない。
だが、この当たり前のことが、万年筆では当たり前でないことがある。
私が買ったモンテグラッパとカランダッシュとアウロラのオプティマは、実に万年筆らしい万年筆と言える。
それは、
「調整して初めて性能を発揮した」
からである。
3本とも「こういう万年筆だ」と思っていた。しかし、私のアウロラを見た万年筆屋さんが
「ああー。これ、ペン先ずれてるよ。これは可哀相だ」
といって、なにやらよくわからないものにスリスリしだした。
何度も何度もスリスリと書き書きを繰り返した。そして、その間ずっと
「これは可哀相だよ」
とつぶやき続けた。そして最後に
「完璧じゃないけど、マシになったと思うよ」
と言って渡された。
私のアウロラ・オプティマは、きちんとしたMだった。
そして、実に滑らかなMのペン先から潤沢にインクをはき出したのである。
それ以来私はアウロラをスケジュール帳に使っていない。字が太くて手帳には向かなくなったからだ。
アウロラを気の毒がってくれた万年筆屋さんは、私がフルハルターのペリカンBBを日常に使っていることを知って、インクフローをよくしてくれたのだと思う。
私は、この経験をして、いかにフルハルターのペリカンと現代の名工万年筆が、特別なものであるかを知った。そして、カランダッシュとモンテグラッパも、実はこうでは無いのではないかと思ったのである。
折しも世界の万年筆祭りでペン・クリニックをやっていた。神様・長原氏とご長男がやっているアレである。
私は仕事を終えると猛ダッシュで三越のエスカレーターを駆け上った。
そして、私はカランダッシュとモンテグラッパが、滑らかな万年筆であることを知った。
神様は私のカランダッシュを見て
「これじゃあ、書けんじゃろ」
と言った。それと同時に
「でも、これはペンが悪いんじゃないけん。英語を喋るか、どうかじゃ」
とも言った。アルファベットを書くには十分だけど、日本語には無理があると言うことだった。
そして、神様は日本語を喋る万年筆にしてくれた。
万年筆の名誉のために言っておくが、決してすべての万年筆が調整を必要としているわけではない。
しかし、例えばボールペンやシャープペンシルのように、外れがほとんど無いというものではない。どちらかと言えば調整を必要とする筆記具である。
にも関わらず、なぜ私は万年筆に惹かれるのか。
つづく・・・
お気楽OL フルハルターでの出会い 3 [ユーモア・エッセイ]
フルハルターでの森山さんとの3時間に及ぶ会話については、万年筆の話が終わったらじっくりと書きたいと思う。
ところで、私はフルハルターで、少し予想はしていたが、ちょっと残念なことがあった。
フルハルターは現金払いなのである。
なんのために3月まで待ったのか、わからない。
こんなことなら2月に買いに行ったのに。残念!!!
森山さんの性格を(雑誌やHPの話から)考えると、どう考えてもクレジット・カードを取り扱う人ではない。HPにも現金のみと書いてあるが、元来適当な性格の私はそういう肝心なことを見落とすのだ。
小学生の頃から先生に
「試験問題をよく読んでから答えましょう」
と注意されていたが、ろくに読んだことがない。そうして本当につまらない間違いをした。だからといって性格が変わるわけでもない。
喉元過ぎれば熱さを忘れると三つ子の魂百までという諺が正しいことを証明している。国語の先生から褒めて貰いたいものである。
そして、フルハルターからの帰り道に、またしても「喉元も過ぎていないのに熱さを忘れ」て、文房具屋に寄ったのである。
理由は2つある。
フルハルターが現金払いであったこと。これによって、今月のカードで使える金額が「増えた」という、非常に危険な思想に陥ったこと。
もうひとつは、M805を購入したと言うことである。
実は、トレドやマジェスティーと言ったより高額なモデルが欲しくなることも想定していた。自分の性格をよく理解している賢明な予測である。そうなった場合、3月購入の万年筆は1本にしようと思っていた。
偉い!!! 1月から学んだことを実践する学習能力の高さと自制心である。
ところが
M805になった。そうすると
「トレドを買ったと思って、もう1本買おう」
という、どこぞのキャンペーンのような声が聞こえてきた。これは別に空耳ではなく、フルハルターに行く前からほんの少し考えていたことを実行したまでである。
文房具屋に行くなり、スーベレーンを買ったら、これも買おうと思っていた
「セーラーの限定品を見せてください」
と言っていた。ついでにモンブランの限定品も見せて貰うことにした。買う気満々である。
買う気満々だった「セーラーの万年筆」とは、神様・長原宣義氏が現代の名工に選ばれたのを記念して発売されたモデルである。セーラーの伝統「長刀研ぎ」のペン先を神様が研ぎ出したもの。
国産万年筆には、まったく興味がなかったくせに「神様」と賞される長原氏のペン先のことを知れば知るほど、国産万年筆に興味が湧き、ぜひ欲しいと思った。
文房具屋で試し書きをした瞬間はたった一言
「何これ!!!」
信じがたい書き味であった。中細字でありながら、ひっかかりは一つもなく、インクフローが潤沢というのでもないのに、怖ろしいまでに滑らかである。
モンブランの限定品は、私と相性が良くなかったようで、イマイチだった。ついでにマイスターシュテック146も試したが、ここにいたモンブランは私のことが好きではないらしかった。残念である。
私はセーラーの限定万年筆を、何度も試した。
買おうかどうかを悩んでいたのではない。この万年筆に入れるべきインクを悩んでいたのだ。
この深遠な悩みを店員は理解できないらしく、一生懸命万年筆の説明をしてくれた。しかし、インクを考えるのに必死だった私は、店員に気を配ることはできなかった。
我にかえった私は、この万年筆を買うことを伝えた。
この万年筆のサイズは大きい。M800の一回りは大きい。
そして、ペン先も美しい。
この万年筆には、クラシカルなインクが良いと思った。
ロイヤルブルーである。
悩んでいたのは、どのメーカーのインクにするかであった。ブルーと言ってもメーカーによって、驚くほど色味が異なるのである。
そして、私は非常にオーソドックスにモンブランのロイヤルブルーを選んだ。
上は、カランダッシュのヴァリアス・シリーズに初めに入れたボルドー。
このロイヤルブルーを買うときに、何故かモンブランの限定インクと
パイロットの色しずくの東京限定色「江戸紫」を買っていた。
女は「限定」に弱いことは、なんども述べたとおりである。この女らしい行動。「女大学」(古い!!!)に載ってしまうのではないか。
じつは、このセーラーの限定万年筆とフルハルターのペリカンM805が、万年筆というものを教えてくれた運命の万年筆なのである。
あまりにも単純でありきたりだと思われるかもしれない。
だから、次回から「初心者の万年筆感想文」を書きたいと思う。
つづく・・・
お気楽OL フルハルターでの出会い 2 [ユーモア・エッセイ]
3時間の会話の末に私が買ったのは、ペリカンのM805のBBである。
ペリカンと言えば緑縞の軸が有名である。
しかし、私はなぜかあまり緑縞に惹かれない。
次いで言うと、クリップが「金」というのはあまり好きではないのだ。
そうなると自ずと選択肢が狭まる。
写真ではあまりわからないが、この青縞は実に美しい。
アウロラのバーガンディもうっとりとしてしまうが、この青縞もうっとりと眺めてしまう。
この青と銀色の組み合わせが、また美しいのだ。
ペリカンのペン先。
字幅は、BにするかBBにするか悩んだ。
仕事などで使うにはMやFが適当らしいが、プライベートで使うつもりだったし、何故か私は太字が好きなのだ。それに、明確な用途があれば細字を選ぶが、そうでなければ万年筆特有のインクに乗った書き味は太字の方が、断然味わえる。
BかBBかは、難しい選択だったが、森山さんが
「悩んでいるならBBにした方がいいよ。あとでBが良かったと思えば、Bにできるからね」
と言われた。決定である。
フルハルターでは、それぞれの書き癖に会わせてペン先を研いでくれるので、できあがりまで最低1週間はかかる。私はそれから万年筆が私の元にくるまでの1週間、ペリカンに入れるインクをひたすら悩んでいた。
ばかばかしいと思うかもしれないが、万年筆に会わせるインクというのはかなりの難問である。
たとえるなら、1年間片思いしていた相手との初めてのデートに何を着ていくか、というくらいの難しさだ。
それから1週間、私は日長一日眉間にしわを寄せてエクセルをにらみつけながら、脳裏に焼き付いた青縞のペリカンとあのペン先から出てくるインクを想像していた。周囲の人は、いつになく気むずかしい顔をした私に、どれほど困難な仕事をいているのかと気遣い、近寄りがたかったに違いない。不機嫌な顔というのは、本当に便利なものである。ちょっと評判を犠牲にするだけで、仕事中に好きなだけ考え事ができる。
1週間後に、私はペリカンと運命の対面を果たすのだが、実を言うとその前にもう一つの運命の出会いが待っていた。
今までの運命の出会いがすべて男だったら、私はエリザベス・テーラー並の恋多き女になっていただろう。
万年筆や洋服、靴、バックでよかったものだ。エリザベス・テーラーなら7回結婚しても
「あれほどの美女だものね」
となるが、私がやると
「やっぱりねぇ」
となるだろう。万年筆やバッグなら貧乏になるだけだ。
つづく・・・
お気楽OL フルハルターでの出会い 1 [ユーモア・エッセイ]
フルハルターは小さなお店である。
「小さなお店」と聞いていたが、本当に小さなお店であった。
二人がけの椅子が机を挟んで置いてある。
それだけ。スペースもそれだけ。
でも、それだけで十分なお店。
私は、初めてのお店というのが得意でない。
洋服も靴もバッグもいつも同じ店で買う。休日の小汚い格好でいっても、店のスタッフを驚かせることもないし、ぞんざいに扱われることもない。第一に、好みでないものを薦められることもないし、あとで後悔するような買い物をする可能性も極めて低くなる。
だから、フルハルターに足を踏み入れる瞬間は非常に緊張した。
森山さんは「優しい」といろいろなところで書かれているが、人見知りの激しい(と自分では思っている)私にしてみれば、初対面の人と会話をするのは、それなりに勇気がいることなのだ。
「こんにちは」
とできるだけ明るく愛想の良い声で挨拶をしながら入っていった。
すると店の奥から、けっして愛想の良いとは言えない(と私は感じた)声で答えがあった。
途端に、人見知りで恥ずかしがり屋の私は不安になった。
「げっ!!! 無愛想なオヤジが出てきたらどうしよう。こわい」
でも、「こんにちは」といった手前、「失礼しました」と言って出て行っては桑原和夫(吉本の芸人)みたいだし、せっかく日曜日に化粧をしたんだし、3月になったら絶対にフルハルターで万年筆を買うって決めてたので、踏ん張った。会議中で末席から一人反対意見を言うよりも勇気がいった。
「万年筆をいただきたいのですが」
万年筆屋に来てこの台詞は無いだろうと、今なら思う。よほど緊張していたのだろう。
森山さんは
「うちはペリカンしか扱ってないですけど、いいですか」
といわれた。
私はペリカンを買うつもりだったし、もしこのとき「パイロットしか扱っていないですけど」と言われたとしても
「はい。いいです」
と言ったと思う。それは森山さんが恐かったからではないことを念のため申し添えておく。
私がアウロラを使っていることを伝えると、それならM800がよいと言われた。
フルハルターで買う万年筆を吟味していた私はM800かM1000にしようと思っていた。何故かと言えば、この2本を森山さんが絶賛していたからである。
信用できる店の主人が絶賛しているものは、つべこべ自分の好みを言わず使って見るべしというのが、私の教訓の一つである。
森山さんから渡された1本は3Bであった。
店の試し書き用の万年筆でありながら(だからかもしれないが)、驚くほど書きやすかった。そして次に渡されたのはMだった。これも潤沢なインクフローで、私の持っているどの万年筆とも違った。
私は両方の万年筆で試し書きをしながら、森山さんに万年筆のことをいろいろと聞いた。
私が森山さんに会いたかったのは、それもあったからである。
私の手はいつか止まり、万年筆はキャップがはめられ、3時間後、次のお客さんが来るまで、森山さんと話を続けていた。
つづく・・・
タグ:万年筆 フルハルター
お気楽OL 運命の万年筆と出会うまでの道のり 5 [ユーモア・エッセイ]
私は、我慢強い。正確に言えば鈍感である。
だから、万年筆の感想などによく「ストレス」という言葉が出てくるが、わからなかった。
カランダッシュで書き出しが掠れるのも
「こういうものだ」
と思っていたし、アウロラのオプティマが、ほんの少しキャップをせずにいるだけでインクが乾いてしまうことも、
「ペン先細いもんね」
と思って納得していた。
さすがお気楽OLである。こういうところも筋金入りなのだ。
だから、そういうことが一切無いアウロラのエウロパは
「すっごく書きやすい」
という感想になる。
そうこうするうちに、3月がやってきた。待ちに待った3月である。
フルハルターに行く3月である。
私は怖ろしく出不精で、土・日は家に引きこもっている。
出かけるにしても、化粧をせずに出かけられる範囲に限られる。
思えば20代の頃は歩いて3分のコンビニでも化粧をしなければ出かけられ馴れなかったが、今では隣町くらいなら電車に乗ってしまう。こういうのを「おばさん化」というのだろう。
化粧というのは、とにかく面倒なのだ。平日は朝起きると同時に条件反射で化粧をするので、何とも思わないが、休みの日は、その一連の動作がないので、小汚い格好で過ごすことになる。
おまけに出不精なので、冷蔵庫に2日分の食料があると一歩も家からでない。たとえ2日間3食冷凍うどんを食べることになったとしても、近くにコンビニに行くよりもマシというのが、私である。
そんな私が、3月のある小雨の降る日曜日。朝8時半に家を出た。
フルハルターに行くと決めていた日であった。
雨の降る日曜日に化粧を出かけるということは、奇跡に近い出来事なのだ。
この数年間、日曜日に化粧をして出かけたことは片手で数えられると思う。
しかし、私はこの数年の常識を覆してでも、一刻も早くフルハルターに行き
「私のための1本」
を手に入れたかった。なによりも、森山さんの万年筆の書き味を味わいたかった。
そうして、私は運命の扉を開けたのだった。
つづく・・・
タグ:万年筆 フルハルター
前の10件 | -
http://blog.with2.net/link.php?614993